共生関係
世の中には『離れたいけど、離れられない』関係が存在します。
仕事先に、嫌いな人がいて、なるべく離れたいけど一緒に仕事をしなければならないからコミュニケーションをとらなければならない、けどそりが合わず喧嘩になってしまうことは、あるとおもいます。
でも、仕事が終われば、離れられます。それに仕事中常に一緒にいることもないと思います。
それが親子の関係だったらどうなるでしょう。
特に子供が乳児や幼児のうちは生きることのほとんどを親に依存しています。これは、当たり前のことですが、親にも誰かに依存しないと生きていけない人がいます。未成熟な親です。人の気持ちがわからず、自分の理想を子供に押し付け、責任を取ろうとしない親です。度を超えた『かまってちゃん』であり、神経症とも言います。
このような親の特徴とは、
①支配的であり、一方的に命令する。
②言うことを聞かないと、罰を与える。頭ごなしに否定する。
③子供が間違えたときに、怒り、何がいけなくて、どうしたら良いか(生き方)を教えない。
④子供を大切に、扱わない。(自分を軽蔑しているため、自分も子供も大事にできない)
酷いケースでは暴力をふるう場合もある。
⑤子供から生きる力を奪い、成長を妨げる。(自覚のない場合が多いそうです。)
簡単に言うと虐待です。
虐待には肉体的な、目に見えるものと、心の問題で、目に見えないものがあります。次回は後者について投稿する予定です。
人に脅えて過ごす
私は、小学生時代おとなしい子供であった。人と話すときは、肩に力が入り、緊張した。人前に出れば、プレッシャーを感じて何もできなくなる。
普段からおどおどしていて、はっきり喋らないため何を言っているのか分からなくて、聞いてるほうからイライラされ、眉間にしわが寄ってくる。その顔を見て、さらに脅威を感じるため、しゃべれなくなる。
言いたいことがあっても、言えず、黙っている。喋りかけられれば話すが、自分からは話さない。
人からからかわれて、自分が不快な思いをしていても、へらへら笑ってごまかしている。言い返さない。
大げさなことを言い、虚勢を張る、嘘をつく。
自分がなく、周りの意見に流される。
そして、いつも不機嫌で、重苦しい気持ちであった。
いじめられることもあった。
苦しいにもかかわらず、苦しくないと自分に言い聞かせ、がむしゃらに頑張ってきた。
寂しいにも関わらず、一人で平気と自分に言い聞かせ、孤独に頑張ってきた。
友達はいない。
この性格は母親との関係の中で、作られたものだったのです。
誰かを責める意味合いはありません。
共生関係という主人と奴隷のような関係が存在し、子供から生きるエネルギーを奪い取る親もいるということは、事実です。
私の経歴②
毎日だるくて何もやる気が起きない。
人と話すのがしんどい。会話ができない。
人間関係がうまくいかない。
人の気持ちがわからない。
頭の中がごちゃごちゃしていて、何も考えられない。
何もできない。
なんだかおかしい、と感じてカウンセリングに通っても、話を聞いてくれるだけで何の対処もしてくれず。その場はスッキリしても、しばらくすればまた同じ。
心理学の本や、心の病気に関する本を読んでも、病気の説明、症状は詳しく書いてあっても、どうしたら良くなるかとゆうことは、書いていませんでした。(だからこのブログを書こうと思いました)
毎日が、焦りとともに過ぎてゆき、心に残る出来事もなく、空虚に今が過ぎていきました。
後に、20歳になる前、合気道の道場に通い11年の修業をし、職業は、転々としましたが社会経験をして、人にもまれながら30代前半でやっとまともにコミュニケーションできるようになりました。
大雑把に私の経歴を書きましたが、このブログでは心の問題で苦しんでいる人に、どうしてそうなってしまったのか、どうすれば改善するのかを私の経験や、感じたことをふまえて、投稿していきます。
私の経歴
子供の頃、親というのは子供に愛情を注いでくれるものだと信じていました。自分も愛情ある家庭に生まれてきたし、当たり前のことだと思っていました。
私は、内向的で人見知りな性格で、いつも一人で何かをしているような、変わった子供でした。協調性はないが、人畜無害でいじられキャラといった感じです。
私の父親は、仕事で忙しく顔を合わせることは、ほとんどなく、母親は厳しく接する人で、時にはヒステリックに怒鳴るときもあり、精神的に辛く、怖い思いをしていましたが、私のためを思ってしてくれているものだと思って我慢していました。そして、黙って言うことに従っていました。
しかし、中学二年生あたりから、我慢ができなくなっていきました。授業中に教室を抜け出し、教壇に立っている先生を殴り、タバコを吸い、親にも反抗的になり、万引きもやり、俗にゆう不良とゆうやつになっていました。中高一貫校であった私立の学校は、中学で卒業せざるおえなくなり、高校は行けず、ますますひねくれていったある日、母親に対する憎悪の念が、沸沸と心の底から湧き出すようになりました。
10代後半で、私は母親を憎んでいる事に気が付きました。そして、親の愛情に対して疑いを持ち始めました。それ以降言い争いも日常的に起こり、酷いときには私が家中のものを壊して回り、包丁を振り回し、家に火をつけようとして救急車、パトカーを呼ばれるといったこともありました。
家庭内の人間関係は、悪化の一途をたどり、破綻し、私と家族の心はボロボロになり、うつ病に近い状態になりました。
※タバコは二十歳を過ぎてから